学ぶことに理由はいらない

なんで数学をしなくちゃいけないの?

 

 「先生、なんで勉強をしなくちゃ

ならないの?」と

生徒に聞かれることがあります。

私は「生きていくには日本語や

算数が役立つし、英語も知っていれば

世界で仕事ができるよ」と

答えますが、数学を学ぶ理由が

見つかりません。

 

社会として数学ができる人材は

大切でしょう。

でも子ども全員に長い時間、

授業を受けさせて試験するまでの意味が

あるのでしょうか。

 

数学が大嫌いだった新井紀子氏

(国立情報学研究所教授)は

一橋大学法学部に入学、そこで

数学の面白さを知ったそうです。

(●印以下抜粋要約して引用)

 

●「なぜ数学を勉強するんだろう。

この公式は次の公式と

どうつづくんだろう。

数学をやるとどんな力が

つくんだろう。

 

振り返ってみると、

私が数学嫌いになったのは、

こうした素朴な疑問への答えが

学校数学の授業からも先生からも

得られなかったことに起因すると思います。

やっていることの意義が見いだせないまま

正しい答えだけを求められたから、

強い虚しさが募っていったのです。

 

でも(数学の)松坂先生は求めたのは

、答えでなくその道筋、

あるいは理詰めでモノを考えていくことを

とことん追求することでした。

(中略)理詰めで戦える数学は

面白いしフェアでもある。

ようやく自分の能力を発揮できる場が

見つかったと思いました」

(一橋大学広報誌 HQ「個性は主張する」)

 

数学と出会い直す

 

 数学に開眼した新井氏は数学基礎論を学びに

アメリカのイリノイ大学に留学。

帰国後、広島市立大学で助手になり

数学者の道を歩き始めたそうです。

対照的に数学が大好きだった

小島寛之氏(数学エッセイスト)は

東京大学数学科で落ちこぼれ、

いったん数学から離れた後、

市民講座をきっかけに経済を

数学で見ることを学び

「数理経済学」を研究し始めました。

 

●「経済学と出会って数学観を

再構築することになったんです。

数学科の頃には、数式が

意味していることは単に

「数式そのもの」でしかなかった。

でも今では、目の前の数式が、

現実の経済現象をキャンバスに

写し取ったように見える。

なぜ不況が起きるのか、なぜ豊かな国と

そうでない国があるのかとか。

ある数式や数学的な事象を

現実の世界に投影して理解する

頭の構造になってしまっているんです。

(「新しい教科書 学び」プチグラパブリッシング)

 

 新井氏は法学部で、小島氏は

経済を通して数学と出会いなおし、

数学者や経済学者の道を歩かれています。

新井氏は現在、研究をしながら、

子どもたちがネット上で学ぶ場として

「Net commons」を作り小中学校にも

広く提供し、また小島氏も大学で教えながら、

一般向けの数学解説書を書いています。

 

●「解説書で伝えたいと思ったことの根本には、

数学的な見方をすることで世界の見え方も変化する、

ということがあったんです。

 

それで『みんなは数学を味気ないと

思っているかもしれないけれど、

実は便利なツールだし、とっても

キュートなんだぜ』ということを示したかった。

僕が僕自身の『数学めがね』をかけて、

どう世界を眺めているかを

わかってもらって、そこから数学的思考の

面白さを感じ取ってくれればいいなと

思っています。

(「新しい教科書 学び」プチグラパブリッシング)

 

 お二人ともあらかじめ数学を

学ぶ理由がわかっていたというより、

出会い直してからそれぞれの

数学の意味が見えてきたようです。

もし数学を学ぶ意味や理由が、

ひとりひとり違うのなら、子ども自身が

自分で見つければいいわけです。

 

 

 

学ぶ理由は知らなくてもいい

 神戸女学院大学教授の内田樹氏も

こんなことを言っています。

 

●「『学び』は、それを学ぶことの

意味や実用性について

何も知らない状態で『私が生き延びる上で

死活的に重要な役割を果たすだろう』と

先駆的に確信することから始まる。

 

学ぶ前に『それを勉強すると

どんないいことがあるんですか?』と

訊く子どもたちは目的のために

有用な知識や情報だけを獲得し、

関係のないものに見向きもしない。

 

だがあらかじめ描いた計画に

基づいて学ぼうとするものは、

『先駆的に知る』力を自分で

殺している。

『先駆的に知る力』とは

まさしく『生きる力』である。

(ブログ「内田の研究室」)

 

 そうだったんだ。

何かを学ぶ前に、それを学ぶ意味や

理由を明確に知らなくてもいい。

「なんとなく気になるから」でも

十分なんですね。

ならば学ぶ理由を知りたがる生徒にも、

学ぶ理由を答えることもないわけです。

 

「学ぶ理由は知らないままでいいんだよ。

大丈夫、死ぬときまでに

わかるかもしれないからね。

(わからないかもしれないけど…。)」と

言うことが誠実だし、

その方が子どもたちも

安心するかもしれません。