セサミクラブ4月ご報告

 4月のセサミクラブは、都合により、井上清三さんの教育トークと合流しました。午前中は井上さん、昼からはたまたまメンバーの板垣さんのお母さんが山形から出てこられたので参加していただき、いつもは聞けないたくさんのお話を聞くことができました。セサミクラブの新しい可能性を感じた一日でした。

まずは午前中、参加の井上さんの感想からご紹介します。

 

●●セサミに参加して  井上清三

 私はコーヒーが大好きだ。いつもおいしいコーヒーが飲みたいと思っている。ドリップ式は粉の量と水の量で決まると思い込んでいる。だから粉を入れる時には計量カップが必需品だと思っているし、水の量もしっかり測らなくちゃといけないと思っている。家には使い慣れたドリップセットがあるからいいんだけど、今の職場にはコーヒーメーカーしかない。なんとかこのコーヒーメーカーでおいしいコーヒーをと思って日々粉と水の量を考えながら淹れている。だけどなかなかおいしいコーヒーに巡り会っていない。そんな中、セサミクラブに参加したら、参加者の平岡さんがコーヒー粉を持ってきてコーヒーを淹れてくれた。そこで、フィルターに粉を計量カップを使わないで入れているのに驚いた。水の量もだいたいだ。飲んだら薄かった感じがしたけど、「ちょっと水の量が‥‥」と言っておいしそうに飲んでいた。私も最初薄いと感じたけど、後からおいしいコーヒーの味が口の中に広がった。次の日から職場のコーヒーメーカーに入れる粉と水の量を目分量にした。そん時そん時でできるコーヒーはうまいもんだ。計量カップで当たりはずれなんて考えてしまうけど、なんかこっちのやりかたも悪くないなあ。

 先日のセサミの会では、自分のことを話したくて話したくてしょうがなかった。なんでだろうと思う。機会があったらまたセサミに参加したい。

 土曜日の空手稽古で左ふくらはぎを痛めてしまった。乱取りで突きを出した瞬間の左足の伸ばしで筋肉を痛めたようだった。初めはアキレス腱を切ったのかと思った。すぐに医者に行ったら「筋挫傷」と言われた。一週間ぐらい松葉杖が必要みたいだ。このところずっと教育委員会への提出書類作りでいっぱいいっぱいだった。それでセサミの会の感想を後回しにしていたけど、今日ゆっくり書けた。「ゆっくり時間をとれ。感想を書け」ということなんだろうな。

 

 

 次はおいしいコーヒーを入れてくれた平岡さんの感想です。

 

●●100404セサミクラブ雑感  平岡庸好

 記憶に残ったキーワードから思い出せること、思うことを脈絡なく書いてみます。赤入れお願いしたいです。午前中は井上清三さんとご一緒させて頂きました。

 

恐怖心、不安とは

 高い所では、歩くだけでも難しくなる。することは同じなのに。危険を察知しての反応のはずだから、必要なものではある。むしろ、恐怖をちゃんと感じられない、原因にちゃんと向き合えない、だからただ硬直してしまうのでは、と中城さん。その時は「なるほど」だけだったけれど、これは面白い。

 

 何か食べものが悪かった時、中毒やアレルギー反応を起こす。これも活発な体の反応ではあるけれど、ゲリで下してしまえればもっとラク。食べた時点で、吐き気をもよおして戻してしまえれば、さらに軽い。味や食感で飲み込むのをやめる、匂いで口に入れるのをやめる、するとさらに軽い。早い軽いうちの反応がちゃんと出ないと、現れた時には大ごとになって、しかも原因や対応策も見えにくくなるのかな。

   なま牡蠣を出された時、「いらない」と言った人がいた。食べた人はみんな当たってしまった。同じ皿から同じ料理を食べても当たる人と当たらない人がある。当たっても、オナラが臭くなる程度の人から、死にかける人まである。「僕はその時食べたくなかった」というのは、本人だけに通じる。これは、運がいい、勘が冴えている、という話になるのかな。「傷んでいる」と自覚して食べなかった人の言葉なら、それを信じた人も一緒に助かるかもしれない。これは信用の問題かな。「菌が検出された」「マウスに食べさせたら病気になった」というのは、信じていなかった人にも納得されやすい。科学のやり方ってこれか。

 

カラダは、知っている?

 ある整体の先生にうかがったお話。台風が通ることが、その地域の人の背骨にあらわれるとのこと。ところが、ある一人だけ、台風の兆候が出ていないことがあったそうだ。「あれ?」と思っていたら、その人は台風が到達する直前に急用ができて、遠出をすることになってしまい、台風にあわなかったそうだ。

  この場合、急用ができることをカラダが分かっていた、という見方でいいのかな。さらに、台風にあわないような背骨の状態を作ってしまえるならば、台風にあわない?それとも、台風にあっても困らないとか?いつでもどこでも誰にでも通じる、結果の保証を求める、これが正しい、というのを目指すのは、科学や技術やテクニックの世界かな。でも生き死にとか、生き方の問題は、ちょっと違うのかも知れない。それぞれ、その時その時の自分に合えば十分。逆にどんなに一般的に正しくても、自分に合わなければ全く無意味。

 

 僕の叔父は競馬をささやかな楽しみにしている。だが、当たったという話はほとんど聞かない。休日に馬券を買いに出かけること、真剣にハラハラすること、外れたうさ晴らしに美味しいものを奮発したり、たまに当たった賞金で叔母にプレゼントを買うこと。この全てが楽しみであり、目的となっているように見える。あるいは、当たる法則を探るのも、楽しいだろうな。雨か何かでレースが中止になっても、困りはしない。「競馬を」楽しみそこねただけで、楽しみを損なったわけじゃない。借金を返そうとして借金で馬券を買うような競馬は、どうだろう。馬券を買うのも当たらないのも、苦しい。中止も困る。楽しむ人は、結果によっては楽しくなるのではないかな。最初から楽しく、どうなっても楽しい。

 

板垣さんの、オウム真理教事件の心象のお話から

 何か事件が起こると、あれが原因、と考えることがある。だれかがテーブルに引っかかって、すみに乗っていたグラスが落ちて割れた。普通、テーブルに引っかかった人が落っことしたことになるのかな。こんな所にグラスを置きっぱなしにして誰も注意しなかったけど‥。人がぶつかるような所にテーブルを置いたまま、誰も疑問に思わなかったけど‥。何かあってからなら、どうとでも言えそう。あるいは、何かあってからでは、何を言っても仕方ないかな。何か起こる前に、起こりそうなことに気づけるだろうか。見えてくることでも、自分とは関係ないことのように眺めてることもある。問題が大きすぎてフタをしてしまうこともある。気づくか気づかない、どこで気づいて、どう反応するか…。なんだか、傷んだ牡蠣に当たるか当たらないか話と同じように見えてきたな。

 

井上さん体験談から

 学級崩壊。子どもに通じる言葉。教育。同じ言葉でも、ある人が言うと相手に響くのに別の人が言うと伝わらない。言った言葉より、その人の「本気」が伝わってしまう…そんなお話も。

  江戸時代、寺子屋の先生が書き残した日記。さんざん手を焼いた子について書かれた文。「聞かない子に言って聞かせるのは、意味がないから、言うのをやめた。」困るのは他の子の勉強を邪魔することで、その子を見捨てた、という内容ではなかった。「ワシャもう言わん」というだけ。聞かないのもそこまでなら一つの意思だ、という感じでしょうか。言い足りないからだとか、罰や報奨で聞かせようって話には行かないんですね。民間からお上への人材登用のために学問所なんかも作られだすと、途端に民間教育全体が、点数を取って仕官やほう禄を得る目的のエリート教育になっていき、誰もが学ぶ民間教育は急速にすたれたみたいです。(展示者側の意図に加えて、僕の意図や記憶違いも加わっています。)

 

後半、板垣さんのお母様がご参加。

 訛りって、生きてる人の言葉って感じがする。お母様も中城さんも、昭和何年は何があったとか、どこは何がある所だというのをよく覚えておられて感心しました。僕なんて、自分の年齢の範囲のことも、長く暮らした町のことも、あまり覚えていない。それどころか、そもそもあまり知らないまま生きてきた。僕の周囲には、年配のかたで、そういう年号や日付けのほか、電話番号までよく覚えていらっしゃるかたがおられる。それだけ印象深く、記憶に残るような人生を生きていらっしゃるのかな。それに、体験を人によくお話されるというのもあるのかも知れない。

 

お体に関して

 脚の痛みに感謝してみる、という中城さんのアドバイス。この「感謝」という言葉が僕からは出てこないんですね。聞くと「ああ、いけないいけない」と思うんですが。話したその場で、実際に動いてみて頂く体験をして頂くというのも、僕はつい「思いつかない」まま、説明ばかりになる。僕自身が、何かを教わったりアドバイスをもらったりした時、どんな場合に、実際に行動が変わったりするだろう。僕の場合は「ああ、そっか!」と思った時、というのがいちばん。また僕に向けて教えられるより、誰かが手際よくやっていること、当たり前にやっている様子を見て、「ああやればいいのか」「あれなら僕もやれるかも」と、ふと思い立ったような場合も多い。

 

 このセサミクラブが面白いのは、何を学んだという明確なことが、毎回ほとんどない。なのに、なぜかその後、意識しないのに自分の行動が選ぶスイッチがどこかにあるのか。そこに届くようなことが、この集まりの時間で起こっているらしい。目には見えないけれど…。

 

 

 

 

 

 

セサミクラブ2月ご報告

  2月のセサミクラブ、また新しいメンバーの方ご参加いただき、トークあり、ミニヒーリングあり、郷土料理ありで一日、中身の詰まった時間を楽しむことができました。以下に感想を紹介いたします。

 

●初参加で自分に向き合うきっかけ

 今までの自分を振り返るシンクロがありとても面白かったです。

ヒーリングもやらせいただき勉強になりました。          (TK)

 

●人と一緒に自分を見つめる

 人のお話を伺ってて「うあー、自分の事だ」と思ったり自分で話しながら

「なるほど自分でそんな事を考えてたのか」と気付いたり。楽しくあっという間に時間が過ぎてしまいました。お昼の「ずるべ」(*)も最高!おいしかったです。

*卵と納豆をあつあつのそうめんにからめるいただき方。

                            (ごろべい庸好)

 

●ちょうど仕事を辞めたところで、皆さんにお話することで、とてもよい節目に

なりました。                           (H)

 

●大きな変化が

 久しぶりに風邪をひきました。実はこのミーティングは毎回参加者のお一人がやや不調で参加されることが多いのです。 そしてその状態が話のテーマがより深まり、気がつくとその方の体調も回復。まるでこのミーティングのための体調なのかなと思うくらい。今回も目論み通り、 以前から関心のあったリコネクションのヒーリングをやられている方が参加。おかげでだいぶすっきりしました。明日以降大きな変化がおきるかもしれません。ありがとうございました。

                                (中城)