働くことは他人への贈り物

誰のために働くの

 私が大学を卒業した70年代は

経済成長期ということもあり

希望すれば卒業までには

ほとんど就職が決まっていました。

 

ところが二人の娘たちの卒業時は

就職氷河期で20社以上エントリーしても

内定がとれず

精神的にもだいぶきつかったようです。

紆余曲折があり、それぞれ希望していた

編集者とデザイナーに

なることができました。

 

ところで神戸女学院大学教授の

内田樹氏のブログ「内田樹の研究室」に

次のようなことが書いてありました。

 

●日経から電話取材で、どうして若者たちは

働く意欲がなくなったのかというお訊ねがあった。

それは彼ら彼女らが「自分のために働く」からだと

お答えする。

 

学生たちは就職活動に全力を注ぐ。

いかに自分の能力や適性を

採用者に効果的に

ショウオフするかに懸命になる。

 

そこには「自分のため」という動機しかない。

だから職場に立ったとき、

自分には「労働するモチベーション」が

ないことに気づいて愕然とする。

 

最初の数年は「自分の方がプレスティージの高い

仕事をしている」などという

比較意識がモチベーションを維持できても、

いずれ消えてしまう。

 

その後は自分自身で自分の労働に

意味を与えなければならない。

けれど「自分のために働く」人間には

それができない。

 

私たちの労働の意味は「私たちの労働成果を

享受している他者が存在する」という

事実からしか引き出すことが

できないからである。

 

ある年代から上にとって

「やりがいのある仕事」というのは、

「どこかで誰かの役に立っている仕事」の

ことを意味している。

おのれの労苦の「受益者」がどこかにおり、

その笑顔や感謝を想像することが

労働のモチベーションを担保する。

それが「やりがい」という語の

意味だったはずである。

 

 

 そういえばメーカーを勤めていた友人から

「私はいつもお客さんの顔を

意識しながら仕事をしていた」と

言われて驚いたことがあります。

 

同じくメーカーにいた私は

製品の品質までは意識できたけれど、

それを使うお客さんの顔まで

想像したことはありません。

 

とにかく目の前の仕事をこなすので精一杯。

それでも残業代の意識は

しっかりありましたけれど。

 

 また学習教室を主宰している方から

こんなアドバイスを受けたことがあります。

「中城さんも地域に影響を

与えている存在なんですよ。

教室の生徒さんの後ろには

ご両親、ご家族、ご近所、地域と

つながっているわけです。

それをいつも意識してください」と。

生徒やお母さんは意識できるけど、

地域全体まで想像するのは

なかなかできませんでした

 

 

他人への贈り物

●「人間が労働するのは、できるだけ

多くの貨幣を得るため」という

倒錯した労働観が流布されている。

「労働」と「報酬」が等価交換されるという

図式である。

 

雇用側は

「どうやって報酬を引き下げるか」を考え、

被雇用側は

「どうやって苦役を軽減するか」を考える。

そんな人間たちが集まって仕事をしても、

ぜんぜん楽しくない。

 

「働くモチベーションが下がる」のは

当たり前。

「働く」というのは、本質的には他者に

「贈与する」ということであり、

それは人間の人間性をかたちづくっている

原基的ないとなみである。

 

 驚きました。人が働くのは

お金を稼ぐため、つまり食べるためと

思っていましたが、

どうやらそうではなかったようです。

 

この等価交換の意識が、

本来他者への贈与である仕事の

面白さを半減させているのかもしれません。

 

実は私は月二回、障害者施設で

給食ボランティアを

させていただいています。

3人の当番で50食近く作ります。

かなり 重労働ですが利用者さんの

「おいしかった」の声が

返ってくるのがとてもうれしい。

多少体調不良でもボランティアを

することで不思議に回復するのです。

これも他者への贈与の一つの形かもしれません。

 

大人になること

●労働は本質的に集団の

営みであり、報酬はつねに

集団によって共有される。

個人的努力は集団を構成する

ほかの人々が利益を得るという

かたちで報われる。

だから、労働集団をともにするひとの

笑顔を見て「わがことのように喜ぶ」という

マインドセットができない人間には

労働ができない。

 

これは子どものころから

家庭内で労働することに

なじんできている人には

別にむずかしいことではない。

みんなで働き、その成果は

みんなでシェアする。

働きのないメンバーでも、

集団に属している限りは

きちんとケアしてもらえる。

 

 私のつれあいの実家は農家ですが、

確かにみんなよく働きます。

80歳半ばの義理の両親は今も現役。

畑が大好きで盆休みのときも

天気や作物のことばかり考えています。

損得抜きで、みんなのために

働くことが当たり前。

サラリーマン家庭で育った私は

びっくりしました。

 

●労働の目的は

「人間の人間性を基礎づけること」

つまり「大人になること」である。

 

 

 そうだったのですね。

人間が働くのは、自分だけのためではなく、

またお金を稼ぐためでもなく、

どこかの誰かに贈り物をするため。

それができて初めて大人なれるのです。

もやもやが晴れて、

なんだか気が楽になりました。